「やれやれ、散々な目に遭いました」
心底げんなりとした様子で吐き出しながら、彼は泥にまみれた自身のカッターシャツを脱ぎ捨て、先程リネン室から拝借した真っ新なバスタオルを頭から被った。
激しい通り雨の中、どうやら任務でひと悶着あった様子である。
常ならば、ミサト相手といえど女性と二人きりの空間でそう易々と肌を晒したりはしない程度には紳士的な彼だったが、そんな気遣いも忘れてしまうほど今回の仕打ちは堪えたのだろう。
着替えを済ませたら労いの意味も込め、コーヒーの一杯でも御馳走してやらねばとミサトが思案を巡らせていた時、ふと目に飛び込んだ逞しい背中にハッと息を呑んだ。
見慣れているつもりではあったが、こうして改めて明るい場所でまじまじと彼の肢体を眺めてみると――男性相手にする表現として適切かどうかはさて置き、なかなかにそそる体つきだ。
素っ気ない態度や、堅苦しさを演出する黒縁フレームの眼鏡、そして一見、細身と窺える長身の体躯などが相俟ってか、彼の全身には逞しさを想起させる要素があまりに乏しい。
が、しかし――。いざその肉体が露わになると、途端に猛々しい身体へと生まれ変わるのだから、人の先入観というものはあてにはならないとミサトはつくづく思い知らされる事となる。
鍛え上げられた彼の肉体は、まるで鋼のようだった。ただ単に筋肉という鎧を分厚く纏った鍛え上げ方では決してなく、あくまで「実戦用」に研ぎ澄まされた細身ながらも鋼鉄を想起させる鋭く隙のないその体つきは、ともすれば威圧感――否、恐怖さえ他人に与えかねない。
だが、ミサトは知っている。彼がその逞しい身体で、自分を優しく抱きしめてくれることを。
「……っ、うわ!」
気配をなるべく押し殺し、そっと彼に近づいた。
そしてまずは、右の程よく膨らんだ胸筋の辺り――まるで目印かのように刻印された小さなほくろに唇を軽く押し当てると、頭上から素っ頓狂な悲鳴が零れ、思わず肩を揺らさずにはいられない。
「ど、どうしたんですか。なんで急に……」
キスの理由を問われたが、しかしミサトは応じない。
その代わり、新たな口付けを今度は顎のほくろ、そして更には泣きぼくろにも惜しみなく送り、瞠目しながら狼狽える彼の表情を間近から存分に堪能した。
「ちょっと、ミサト……」
聞いてますか、と改めて問いかけられるも、ミサトはやはりその口端を楽しげに歪めたまま、言葉を紡ぐことはない。
こちらの意図が掴めず、困惑する彼の表情をこうして眺めているのも大好きだった。そんな頼りなさげな面持ちと、隙なく鍛え上げられた肉体のミスマッチもなんだか堪らない。
これが所謂、フェチズムというものかと、どこか他人事のように感心しながらミサトは爪先立ちになると、今度は戸惑いの言葉ばかりを吐き出す彼の唇目掛けて自らの舌先を差し出した。
狼狽の割にそれはすんなりと彼の口腔内へと受け入れられ、たちまち深く情熱的な絡め合いの愛撫が始まる。
「ん……っ」
先ほどまで、土砂降りの雨の中を駆けまわっていたという割には妙に熱っぽい舌先の温度に思わず驚いてしまったが、普段は衣服の中に隠された肉体同様、自分だけが知る彼の劣情を垣間見れたようでくすぐったさにも似た歓喜がじわじわと爪先からこみ上げてくる。
もっと興奮して欲しい、もっと激しく乱されたい。そんなはしたない欲望がどうにもミサトを突き動かしてやまず、いっそのこと呼吸ごと奪い取ってはくれないかと被虐的な衝動さえ沸き上がる始末だった。
「ミサト……っ」
切羽詰まった声でこちらの名を呼びながら、彼はあくまで柔らかく、これは拒絶の意では決してないのだと言わんばかりの優しさを以て互いの身体をそっと引き剥がす。
「もしかして、甘えたかったんですか?」
未だ興奮冷めやらぬのか、大いに吐息を乱しながら彼が訝しげに問いかけてくる。
甘えたい、などという生易しい表現で濁されるのは非常に不本意だとミサトはほんの僅か、むっと濡れた唇を引き結んだ後、伸ばした両腕で戸惑いを滲ませるその逞しい肉体を改めて抱き寄せ、抑えきれない劣情を真正面から堂々とぶつけてみせた。
「……したい」
したくて、堪らないのだと懇願すれば、眼前に再び迫った表情はより一層、色濃い狼狽を浮かべて視線を彷徨わせる。
だが、滲み出すのは決して戸惑いだけではなかった。
覗き込んだレンズ越しの双眸に宿る欲情の焔は、その捌け口を求めてもどかしげに揺れ動いては徐々に切なく潤んでいく。
「もしかして、甘えたかったんですか」
逡巡の後、絞り出された問いかけに肯定を示す余裕などない。
返答の代わりに、とミサトは再び背伸びをして目の前の逞しい身体に縋りつくと、より一層激しく、熱烈な口付けを求めて自身のすべてを委ねたのである。
「……今日は、随分と素直ですね」
その刹那、苦笑交じりに零れたその声音の甘さに、思わず腰が砕けそうになってしまった。